ECOFFは、10周年を迎えました。

ECOFFは10周年を迎えました

目次

「お金のことは後で考えなさい。3年やって世の中に必要とされたら、お金は後からついてくる。やれるもんなら、やってみなさい。」

これは、ぼくがNPOを始める時の母の言葉です。

まさか、本当に世の中に必要としてもらえるとは。

まさか、10周年をこんな形で迎えるとは…。

2021年1月23日に、村おこしNPO法人ECOFFは創業10周年を迎えます。

ここまで支えてくださった全国各地の世話人の皆様、そして2,000名を超える参加者の皆様、ぼくを陰ながら支えてくださった皆様、本当にありがとうございます。

活動を始めて記念すべき10年目となった昨年は、奇しくも新型コロナウイルスの影響を直に受け満足に活動ができない歯痒い一年となりました。

今年も同じ状況が続くのでしょうか。はたまた、ワクチンの登場でコロナ禍は過去のものとなるのでしょうか。

10周年だからというわけではありませんが、今回は、ECOFFを始めた理由や、農山漁村の住み込み型ボランティア「村おこしボランティア」をしている理由など、ECOFFの核となる考えを書き出し、まとめることにしました。

インタビューで聞かれた時の回答をほぼ網羅した内容なので、ECOFFの考えがよく分かると思います。

ECOFFの考えを通じ、1人でも多くの方が地域活性化を自分ごとに捉えられる人が増えることを願っています。

なぜ、ECOFFを始めたんですか?

セントジョンズ(カナダ)の農家でファームステイをしていた頃のECOFF代表理事

これはインタビューの時に必ず聞かれる質問です。

ECOFFの正式名称は「村おこしNPO法人ECOFF」。 その名の通り、村おこし(地域活性化、地方創生)をするためのNPO法人(特定非営利活動法人)です。

だから「地域活性化のために始めた」というのが模範回答になるのですが、なぜ地域活性化をしたいのかを答えないと完全な回答にはなりません。

ぼくは東京都の出身です。 3代目なので田舎はありません。 だから故郷や田舎のために地域活性化をする動機はありません。

一般的に考えて、地域活性化活動を行っている主体は、その地域にある団体ですよね。

一方、ぼくは人口が増え続けている都会の出身です(実際には長くそこに暮らしている人口は減っているので、ある意味都会でも地域活性化は必要なのですが、それはまたの機会に)。

なのに、なぜ地域活性化をしたいのでしょうか?

それは、各地域に継承されている知恵や文化を引継ぎ、後世に伝えていきたいからです。

どこどこ村がなくなったら悲しいとか、どこどこ島の人が可哀想とか、そういう感情論だけでやっているわけではありません。

私たちは、電気がなければ何もできない危うい暮らしをしている。

奥尻島(北海道)では、世話人の外崎(右)さんと山菜採りをした。

今、ぼくらは電気やインターネットのおかげで便利な生活をしています。 ですが、一度それらのインフラに問題が起こったらどんなトラブルに見舞われるのでしょうか?

電気が止まれば水道も使えなくなります。 パソコンやスマホは当然使えません。 冷蔵庫の中身が腐り、お店のレジが使えなくなり、ATMで現金を降ろすこともできなくなります。

結果、多くの人々が仕事を失って地方への移動を始めるでしょう。都会には人間の生存に必要な安全な水も、食べ物も、生活用品を作るための資源も、一切ないからです。

このように電気が失われた後の人間がどのような行動に出るかは、2017年に公開された矢口史靖監督の映画「サバイバルファミリー」を観るとよく想像できます。

ぼくの頭の中でモヤモヤしていたものが映像化された作品だったので、とても衝撃を受けました。 知らない方はぜひNetflixなどで観てみてください。

IoTは悪魔との契約

今は幼稚園児からご高齢の方までスマートフォンを使っていますよね。

スマホ1つでなんでもできるようになり、もはやスマホは社会生活を送る上で必要不可欠なものになりました。

人類が生まれてからこの方、常に身につけなければならないものとしては、衣服、お金に次ぐ発明ではないでしょうか。

スマホを中心としたIoT(モノのインターネット)化が進めば進むほど生活は便利になりますが、電気やインターネットが止まった際のリスクも同時に高まります。

「そんな馬鹿げたことが起こるわけはない」とタカをくくっている方は、2020年10月1日の東京証券取引所での出来事を思い出してください。

この日、東証はシステムエラーによって丸一日取引が停止してしまいました。 万が一のバックアップを取っていたにも関わらず、です。

東証の一日あたりの取り扱い平均額は3兆円ということですから、どれほどの損失であったかは容易に想像できることでしょう。

皆さんが、今使っているウェブサービスのほとんどはAmazonかMicrosoftかGoogleのサーバーで動いています。

この3社のサーバーがダウンしたら世の中は大混乱です。IoT製品はもちろん使えなくなります。立ち上がって3、4歩歩くのを惜しんだばかりに、電気すら付けられなくなるなんて滑稽ですよね。

実際に、2020年12月14日にGoogleのサーバーが45分間ダウンした時、仕事ができなくなった方も多いはずです。

それほどに私たちの生活が綱渡りになっていることを、どれくらいの方が気付いているでしょうか?

その島では、自分の経験は何の役にも立たなかった。

ECOFF創立準備の際は、宿泊費を節約するために野宿をして過ごすことが多かった。写真は宝島。

東日本大震災では、数日にわたりインフラが完全に途絶えた地域がありました。

この時、生き残ることができた人々の多くは、どうしたら安全な水が手に入るのか?  火は、どのようにすれば少ない燃料で長い間燃やせるのか?  どれが食べられる野草なのか?  そもそもどうしたら人間は死なないのか?  といった知恵を持っていたはずです。

このような知恵は、各地域によって異なり、WikipediaやYouTubeで伝えられるようなものではありません。

トカラ列島の中之島でこんなことがありました。

ぼくは探検部出身なので、焚き火が得意でした。 雨の中でも焚き火をつけることができましたし、それなりに自信を持っていました。

ところが、いざ中之島の森の中で焚き火をしようとすると、一向に火をつけられないのです。

それを見かねてやってきた地元の方は、その辺に落ちている竹をうまく利用して、あっという間に火をつけてしまいました。

自分の方法がこの島では通用しないことに、深い感動を覚えたものです。

もちろん、油分を多く含んだ竹を使った着火方法は一般的ではありますが、中之島には竹林が広がっており枯渇する心配がないからこそ、竹を使ったことに意義があったのです。

また、台湾の蘭嶼(ランユウ)という離島に暮らしてきた原住民の木船は、1種類ではなく何種類もの木を組み合わせて作られていました。

これは、資源の限られた島の中で、同じ品種の木ばかりを使っていたら、その木が絶滅してしまうことを理解していたために違いありません。

その他にも、子どもしか食べられない魚や、高齢者しか食べられない魚があるなど、様々なルールがありました。

「子どもに食べさせたくないくらい美味しかったからだろう」なんてうがった見方をすることもできますが、これも木船と同様、同じ魚ばかりを食べていたら、資源が枯渇してしまうことを理解していたからだと考えられます。

マグロやサンマばっかり食べている我々には、耳の痛いお話ですね…。

生物多様性と文化多様性

現在、ECOFF代表理事が調査している台湾の離島「澎湖(ポンフー)」にも様々な伝統文化が残されている。

このように、その土地にあるものを上手に活用し、さらに永続的に使えるようにしてきたのが私たちの祖先であり、彼らの知恵は長い歴史をかけて次第に形作られ事実に裏付けされたものなのです。

それなのに、今のぼく達は祖先が大切に遺してくれたものを無視するどころか、破壊し、資源が枯渇したら別の方法で解決するという、臭いものにフタをするだけで根本的な治療をしない生活を続けています。

これから先、どんな未来が待っているか予想することはできませんが、各々の地域で培われた知恵や文化が数百年の歴史の中で生まれたものであり、それによって人間と自然が共存してきたというのは紛れもない事実です。

今、多くの創薬研究者がブータン王国の調査に関心を持っています。

ブータン王国は長い間鎖国していたため、他の国では失われてしまった民間療法が残っており、それらの民間療法で用いられている成分を研究すると、高い確率で新薬の開発に成功するからです。

自然界にあるものから手当たり次第に研究をしても、成功する確率は限りなくゼロに等しいことを考えると、数百年の試行錯誤の末に生まれた民間療法が、いかに貴重なものであるかご想像いただけることでしょう。

人類史上最も多くの命を救ったペニシリンが、青カビから発見されたことを思い出してください。 自然界の何が、将来ぼく達の生命を救ってくれるか分からないと思いませんか。

しかし、現代の地球では、たった1日の間に100、1年間に4万もの種(しゅ)が絶滅しているとされています。 もしかしたら、新型コロナウイルスの特効薬になるうる種も、今この瞬間に絶滅しているかもしれないのです。

そう考えれば、生物多様性そして文化多様性がいかに重要なものであるか、理解できるはずです。

日本を含む世界中に、目や耳を疑うような奇天烈な文化や風習が残っていたりしますが、それらにも人間が自然の中で生き延びていくための知恵が凝縮されているはずです。

これらの知恵は、絶滅してしまった生物と同じように、失われたら二度と取り戻すことができないものです。

人類が今後も永続的に、平和に地球で暮らしていくためには、先祖から受け継がれてきた知恵や文化を次の世代へ、さらにその次の世代へと引き継いでいかなければなりません。

そのために必要なのは、そうした知恵や文化を内包している地方を後世へと残していくことです。 ですが、ただ単に地方で暮らせる環境を残せばいいわけではありません。

人口だけでは、その地域が活性化しているかどうかは、読み解けない。

太田町(秋田県)の行事の手伝いをした際に。

ぼくは学生時代から10年以上に渡り、離島における地域活性化に携わってきましたが、一方で離島以外の内地における農山漁村の実態については不勉強でした。

2019年に東北を訪れた際、秋田県の農村は、離島と比較すると緩やかな過疎化をたどっていることが分かりました。 しかし、その理由は農村に自分の家と土地があるからというだけであり、仕事や買い物などをする生活基盤は、すでに都市部に移っていることが分かりました。

離島の場合、物質的な豊さや仕事の選択肢を増やすためには、島を出るしかありませんが、陸続きの農村の場合、昼間は自動車で都市部まで移動し、夜になったら寝るために農村に戻れば良いからです。

つまり、ぼくが訪問した秋田県の農村は単なるベッドタウンになりつつあり、人こそいても、そこの知恵や文化自体は風前の灯になっていたのです。

これは人口の推移だけを見ていたら絶対に気付けない変化です。 仮に、ある農村の人口が増えていたとしても、それが単なるベッドタウンであって、その農村にある伝統文化が消えてしまっていたとしたら、それを地域が活性化していると言えるでしょうか。

地域活性化は、内閣府が提唱した地方創生と一般的に同義だとされており、地方創生には「東京圏への人口の過度の集中を是正し、それぞれの地域で住みよい環境を確保して、将来にわたって活力ある日本社会を維持することを目的としています。」 という説明がされています。ですが、ぼくは地域活性化に明確な定義はないと考えています。

なぜなら、何が住み良い環境だと思うかは人それぞれですし、活力がある状態がどのようなものかも人によって異なるからです。

観光地化することこそが地域活性化であると考える人もいますし、自衛隊の基地を誘致することが地域活性化だと主張する人もいます。

このようにバラバラなイメージがある理由は、地域活性化そのものに定義が存在せず、また定義付けすることも不可能なためだと考えるのが自然です。

だから、ぼくは自分自信が考える地域活性化を人に押し付けるつもりは毛頭ありません。

ですが、どうしても押し付けたいものがあります。 それは、地域活性化を誰にとっても身近なものにしたいという思いです。

エコと地域活性化は、似たもの同士。

「エコ」という言葉があります。「 エコのために電気をこまめに消そう」「エコのためにエアコンの温度設定を上げよう」「エコな家電を選ぼう」…。 こうした言葉はいつから日常的に使われるようになったのでしょうか。

Googleの検索記録を照会してみると、エコという言葉は2007年に急激に使われ始めたことが分かります。 反対に言えば、今から10数年ほど前まではエコという言葉はほとんど使われていなかったということです。

そもそも、エコが叫ばれ始めた時、多くの人は「自分の小さな行動がこんな大きな地球に影響を及ぼすはずがない」と他人ごとのように感じていたはずです。

ですが啓蒙活動が進むにしたがって、だんだんと「エコ」という言葉が普及するようになり、今では毎日のように口にする言葉になりました。 逆に言えば、10数年かけてやっと人々の意識が変わり始めたということです。

エコと地域活性化は非常に似ています。 どちらも人々の毎日の小さな行動の積み重ねが結果につながるからです。

しかし、エコですらこのような状況です。 まだまだほとんどの人が他人事だと思っている地域を活性化させるためには、エコと同じように普遍的な言葉、そして行動基準にしていかなければなりません。

多くの消費者が「エコ」な商品を意識的に選択するようになったのと同じように、「地域活性化」を意識し、地域活性化につながる商品を選ぶことが一般教養になって、ようやく日本の一極集中が是正され、各地の魅力が輝くようになります。

「地域活性化になるから、これを買おう」を、社会常識にしたい。

写真:岩手で知り合った海苔漁師さんが生産した海苔を持つECOFF代表理事

ただ、あまり難しく考えなくても大丈夫です。 自分にできる範囲で始めれば良いのです。

例えば、肉や野菜を買う時に、原産地がどこなのかを確認してみましょう。 その次に、国産の肉や野菜を意識的に購入ましょう。 できれば贔屓(ひいき)の地域ができるといいですね。

そうした意識的な買い物を続けて、最終的にはどこかの地域の農家さんや漁師さんと知り合い、その人、もしくはその地域から購入するようになるのが理想的です。

いきなり、どこどこ村のだれだれさんの野菜を買ってください!  と言われたって、どこの誰か分からなければ、大量生産された輸入品を買うのと同じですよね。 それに、そうした商品は価格が高いことが多いため、それなりの理由がなければ選ぶことができません。

ところが、一度でもその人と知り合うと、ちょっと高くてもその人を応援したいという気持ちで平気で買えるようになります。

いつもよりはお財布が痛むかもしれませんが、そのお金は地域を豊かにして、いずれまた自分の元に返ってきます。何より、安心安全で美味しいものが食べられるなら、それだけでも価値があるではないですか。

そう考えると、今まで高いと思っていたものも安く感じるから不思議なものです。

これって何かに似ていると思いませんか?

そう、選挙です。

買い物も、より多くの票を得た人が選出される選挙と同じです。より多くの消費者に選んでもらえる商品こそが支持率が高いということであり、そうした商品が社会的な影響力を持つようになります。

一人ひとりの行動意識の変化は、一見すると微力です。ですが、1年に1度あるかどうかの選挙では毎回「国民一人ひとりの声を届けよう」なんてスローガンが標榜されるのに対し、なぜ毎日の消費行為は軽んじられてしまうのでしょうか。

むしろ、毎日の消費行動の方がよっぽど世間の声を映し出しているはずです。

だからこそ、ぼくは「地域活性化」という言葉が「エコ」と同じように日常的に使われ、日常的な判断基準となることを望んでいます。

「エコだからこれを買おう」と同じように「地域活性化になるからこれを買おう」といった行動基準を社会常識にしたいのです。

それを実現させるためには、何よりもまずは地域のことを知り、自分ごとにすることが必要です。 そのためにはどうしたらいいのか考えました。

ありふれた人との対話からしか、その地域の本質は分からないから。

写真:地元農家さんの話に真剣に耳を傾ける学生ボランティア(三宅島コースにて)

その結果、現在たどり着いているのが、学生向けの10日間の住み込み型ボランティア「村おこしボランティア」です。

地方創生がにわかに活気付き始め、今は日帰りや1泊2日程度の体験型ツアーが盛んに行われるようになりました。

しかし、そんな短期間で体験できるのは、あらかじめ準備された作り物だけで、観光業に従事するごく一部の人としか交流できません。

その地域のことを知るために本当に必要なことは、その地域にいるありふれた人との対話のはずです。

特に、基幹産業となっている農家さんや漁家さんと対話することで、その地域の自然や文化を同じ目線で知ることができる事実は無視できません。

村おこしボランティアなら、10日間同じ場所に滞在し、表舞台に出る機会の少ない人々と同じ仕事をし、同じ釜の飯を食べることができます。これは、日帰りや1泊2日程度の体験型ツアーでは絶対に経験することができません。

10日間、さまざまな属性の人々との共同作業や対話を通じて地域のことを知り、その地域に親戚のような人々を作れば、それまで他人事だったことが自分ごとに変わります。

村おこしボランティアには、単なる旅行先を、第二の親戚がいる「ふるさと」にできる力がある。

写真:地元の方々と学生ボランティアが交流している様子(沖縄やんばるコースにて)

レジャーとしての旅行の最大の欠点は、新しいものを求める性質があることです。言い換えれば、一度行ったところにはよほどのことがない限り再訪しないということでもあります。

他方で、親戚がいる土地には一生の間に何度も訪れるものです。

だからこそ、スーパーやニュースでその地域の名前を見かけた時、その地域のことや人々を思い浮かべることができる人、つまり第二のふるさとや第二の家族を持つ人を増やすことが、地域活性化を普遍的なものにするための手段だと確信しています。

そのために行っている村おこしボランティアは、効果を数字で表すことはできませんが、肌感覚とした非常に有効だと感じています。

例えば、鹿児島県にある7つの有人島から成る十島村の例を挙げてみましょう。

十島村は、2011年にECOFFが最初の村おこしボランティアを開催した地域です。ぼくが初めて訪問したのは2007年ごろで、当時は本当に活気を感じさせない島でした。

しかし、2018年には鹿児島県内の市町村で最も高い人口増加率を示し、2019年に発表された過疎市町村における30代女性増加率によると全国4位にランクインするなど、今では全国の過疎市町村が注目する村になりました。

特に十島村の宝島は、雑誌やテレビなどのメディアでも数多く取り上げられています。

宝島について書かれた紀行文を読むと、「島には多くの若者がおりびっくりした」といった表現が見かけられることがあります。これは、ECOFFの村おこしボランティアに参加していた学生のことと考えられます。

日本の多くの離島には、小中学校はあるものの高校はありません。そのため、高校生から大学生までの年代がすっぽりと抜けており、それが活気のない雰囲気に繋がってしまっています。

逆に言えば、この年代の若者が島にいるというだけで活気が生まれるということです。そして、それを見た人々が「この島には活気がある」と考え、「こんな島なら移住したい」と感じ、それが人口増加に繋がっている…。そんな考察は無理があるでしょうか。

実際、受入地域からの喜びの声で一番多いのは「地域が活気付いた」というものなのです。

もちろん、十島村は全国に先駆けて手厚い移住支援を行ってきた実績があり、それが現在に繋がっているのは間違いありません。

しかし、その影ではECOFFの学生の活躍も多少なりともあったことでしょう。実際、参加者の2人が宝島に移住していますし、そのうち1人は宝島の若者と結婚しての移住でした。

地味…、だけどこれが現時点での最善策。

写真:アイランダーにてECOFF理事の山田文香と過去の参加者とともに

上記はあくまでも一例であり、その他にも地方移住を果たした参加者はいらっしゃいますし、村おこしボランティアに参加したことをキッカケに、移住ではなくとも地域関係の仕事に従事した人の報告もあります。

ぼくが把握していない分を含めれば、もっと多くの事例が出てくるはずです。とはいえ、それが村おこしボランティアによるものだと断定することもできません。

そう、この活動は極めて地味なのです。センセーショナルな数字を叩き出すことはできないのです。

昨今はエビデンスや目標値が問われますが、世の中には可視化できないことがたくさんあり、村おこしボランティアもその一つです。

もっと効果的で見栄えのする地域活性化の手法があるかもしれません。ですが、ぼくにはそんなことはできません。だから、自分に与えられたカードの中でもっとも効果的な組み合わせを作るまでです。

そしてECOFFは、1人でも多くの人が第二のふるさとを見つけるための社会インフラであり続けます。ECOFFの役割が不要になる日、地域活性化がみんなのものになるその時までは。

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