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沖島最終日のレポートでは、参加者全員がボランティアを通じて感じた沖島や「地域活性化」に対する考えを綴っていきます。10日間の間に、みんなそれぞれ大切なことを学んだようです。

それでは、参加者からの最後のレポートをご覧ください。現地に行き、滞在したからこそ気付けたこと…。誰もが思わずハッとさせられる文章ばかりです。

人との出会い、繋がりは大切にしていこう。

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最終日です。今日は朝から日の出を見に近くの神社まで行きました。日が出てくるところは山があって見えなかったのですが、朝焼けはとてもきれいに見えました。

ただ、この琵琶湖の景色も今日でしばらく見納めかと思うとこれ以上日が昇って欲しくないような複雑な気持ちになりました。部屋に戻ってから二度寝をして、最後の朝食を済ませたら今日まで使わせてもらっていたコミセンの掃除に取り掛かりました。

それと同時にお世話になった沖島の方たちへの色紙も書きました。今までレポートや日記で沖島のことをたくさん書いてきたので、色紙もすぐに書けてしまうだろうと思ってましたが、うまくまとめようとすると書きたいことがたくさんあって中々ペンが進みませんでした。それでも無理やり詰め込んでなんとか色紙を書き上げることができました。

そうこうしている間に帰りの船の出発時間が近づいて、港へ。天気は沖島へ来た初日と同じように晴天で、あっという間に1週間が経っていました。

船に乗り込み沖島を後にしますが、この後もまだ近江八幡の案内をして下さるとのことだったので、まだ終わってない! と自分に言い聞かせて沖島のことはひとまず考えないようにしました。

それでも近江八幡の観光も終わって、本当に駅まで来てしまうといよいよここまでか、と感傷的にならずにはいられませんでした。

駅前のロータリーでお別れの挨拶をして、駅のエスカレーターを上がって行くのですが、途中までは手を振ってくれている姿が見えても、2階上がってその姿も見えなくなると、その時本当にこのプログラムは終わったんだなと思いました。

沖島ではすばらしい体験をさせてもらいましたが、その中でも、今回のプログラムはECOFFや現地の方がいてこそ実現したんだということを強く実感したので、人との出会い、繋がりは特に大切にしていこうと思いました。(曽我さん)

沖島での生活を経て感じたこと

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沖島は、とてもいいところでした。自然がとても豊かで、きちんと人間と共存しています。人はみな良い方ばかりで、きちんと人のつながりもあります。食べ物は魚も野菜もおいしいものばかりです。車もないし都会の喧騒もないし、本当に過ごしやすいところです。

沖島はよいところばかりですが、もちろん不便なところもあります。島の中で済まない用は船で対岸まで行かなくてはいけません。予定してあったことは良いですが、急に必要に迫られたときなどはとても大変です。

それでも、沖島に住む人たちは島から出ていってしまう人が増える中でも、そこで生きることを選択しています。

島だからこその特徴として、すぐに必要なものが手に入るわけでもないので、極力知恵を絞って自分たちで何とかする、という意識があちこちで見られます。畑においてある洗濯機や風呂おけが水溜めとして活用されていることが象徴的です。なければ無いでなんとかなっちゃうものも多いのだな、というのが印象です。

都市部は便利ですが、もしかすると必要以上にサービスや製品にあふれていて、僕たちの需要や欲求は後発的に起こっているものなのではないか? と思いました。

都会を離れて地方に来るたび、本当に人間らしい(日本人らしい)生活とはこういうところにあるのではないかと感じます。

日本古来の良さに囲まれて生きる、どこでどんなふうに活きるのが良いのかきちんと自分で選択をする、知恵を絞って生活をしていくといった具合です。

しかし、沖島の人口が減っていっているのは事実で、漁師さんの後継者もいないのが実情です。いまのまま何もせず時間が流れていけば、島の生活が成り立たなくなる瞬間が必ず訪れると感じました。

これは沖島だけに当てはまることではなく、日本全国の地方の小さな村ではごく当たり前に起きていることなのだと思います。

「地方活性化」という言葉がありますが、どこか違和感を感じます。観光客がいて賑やかになったり、移住者が増えて町が発展したり、新しい施設が作られ町の開発がすすんだり…なんてことを目指すことはあまり必要ないんじゃないかと思います。

今ある良さが今の姿のまま続いていけばそれでいいんだと思います。ともすると維持するということは、発展させる以上に難しいことかもしれませんが。

そのために何をすべきかというと、そこで初めて移住者を増やすだとか、観光客の増加によって収入を得るなんて言う話が出てくるかもしれません。

沖島のような場所が消えていってしまうと、日本がとても窮屈な国になってしまう気がしてなりませんし、日本の大事な財産として、しっかり守っていかなければいけないと強く感じました。(宮田さん)

沖島を広く知ってもらえるようにささやかながらも、続けていきたい。

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今回ボランティアとして沖島に来て、特に印象に残っているのは漁師さんとの会話です。

漁師さんたちとお酒を交えて会話する機会がありましたが、その時に少し酔っ払いながらも沖島の将来について話してくださった考えが、とても印象に残っています。

その方は「沖島にごっつい老人ホームを作って、島の外から人を呼ぶ。そうすると、そこで職員として働く人手が必要になり、さらに人がやってくる。それに、その老人ホームに宿泊するおばあちゃんやおじいちゃんに会いに、家族もやって来るだろう。」とおっしゃっていました。

この案が現実的かどうか私にはわかりませんが、デイサービスのお手伝いをしに訪れた所の部屋から見る景色はとても素晴らしく、それを見ただけでも、老後を沖島で過ごせるなんて幸せだろうなと思いました。

また、「観光しに来てただ写真を撮って帰るだけじゃ、観光客を呼び集めてもしょうがない。」との意見もありました。

観光は、沖島のことを知ってもらうにはとても大切なことで、観光に来る人も日常では味わえない穏やかな流れを感じることができます。

しかし、沖島の暮らしを保つには、やはり定住する人が増えないと意味がありません。

犯罪がほとんどなく、子供を安心して遊ばせてあげられる環境。

少人数制で最新設備も整っている小学校。

車が走っておらずCO2の排出量が少なく、自然にも囲まれた豊かな環境。

子育ての面から見ても、良いところはたくさんあります。

しかし、いざ移住しようとなると都会の生活とは違う、不便と感じるような違いなどと向き合わなければなりません。

それでも、そんな不便など気にしていられないほど、この小さな日本の中の小さな沖島には、たくさんの魅力が詰まっています。

たくましい漁師さん、子供達のおもいっきりはしゃぐ姿、島の人同士の繋がり、豊かな自然。

どれもなくしてはいけないと、強く感じました。

この沖島という素晴らしい地域を知り、ここでしか出会えなかった人達との出会いに感謝して、沖島を広く知ってもらえるようにささやかながらも、ボランティアを続けていきたいと思います。(野口さん

活性化とは何か

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ECOFFのボランティア体験最終日は、午前中は帰るための準備に時間を費やし、その後は近江八幡市を案内していただいたので、沖島で過ごせた時間はあまりありませんでした。ですので、最後の日記には私が沖島へ感じたことを書いていこうと思います。

私には、沖島にきた理由の一つに地域の活性化を自分で行ってみたいという考えがありました。それは、どういったことが地域の活性化に繋がるのか、それを考えるためにはまず自分が実際に行動してみることが必要だと考えていたためです。

沖島で、地域の大切な行事であるお祭りの手伝いや、そこで生活されている方々の手助けができれば、どういったことが地域には求められており、そして活性させることができるのか、そのヒントを掴むことができるのではないかと思っていました。

しかし、実際に沖島でのボランティアを通じて、私には一つ大きな疑問ができました。それは、活性化とは何かという問いです。「地域の発展」、「地域の活性化」とはよく耳にする言葉ではありますが、沖島にとっての発展、活性化とは何なのでしょうか。

私は、沖島にとってのそれは、単純に人が増え、コンビニが24時間人々の求めるものを提供し、ビルのネオンが夜を照らす、そういったものではないと思います。なぜなら、それは最早都市の模倣を「沖島」と言う場所で行っているに過ぎず、本当の意味での「沖島」の発展とは呼べないためです。

私はこれまで、地域の発展はその地域らしさを伸長するものだと考えていました。そこで、私は沖島らしさというものは何なのか、このボランティア活動の間に考えていました。

私が見たもの、それは地域の人々が盛んに交流し、子どもを自由に遊ばせることができ、また、質の高い教育を受けることができ、自然に囲まれ、環境に優しい生活を送っている、そういうものです。

しかし、私は、これらは人口の少なさゆえのもののような気がしてなりません。人口が少ないから、皆と顔見知りである。それ故に交流が深く、また不審者を警戒する必要が薄い。人口が少ないから、児童一人あたりの教師の数が多く、質の高い教育を受けることができる。

このように沖島の良さには少なからず少人数制というものが存在するのではないかと思います。例えば、この場所に大きなアパートがいくつも建ち、様々な場所から色々な人々がやってきたのならば、このような生活を続けることは困難なのではないでしょうか。

ここで一端話を戻すと、地域の活性化が地域らしさを伸長するものであり、そして沖島らしさの一つが少人数制というものにあるのならば、それを伸長することはかえって沖島の衰退を招くことになる、とわけのわからないことになってしまいます。

だからこそ、私は沖島の活性化には、これまでとは異なる別の形での「活性化」が必要となるのではないかと考えています。ひょっとするとその一つは、沖島の良さを他地域に伝えていくことかもしれません。

例えば都市であっても、地域を細かく区切ることで少人数制ゆえの人同士の深い交流を行うことは可能であると思います。その少人数のコミュニティが協力しやすいような制度を作る、そして次はそのコミュニティ同士が協力しやすいような制度を作るなど、沖島の良さを伝え、他地域に応用していくことも一つの沖島の活性化と考えられるのではないでしょうか。

地域の活性化とは何か、その明確な答えを私は持ててはいませんが、私は、沖島で触れ、関わり、経験したことを記憶に残し、誰かに伝えていくことは沖島の活性化に繋がっていると信じています。(小澤さん)