ある日の暮方の事である。一人の下人が、羅生門らしょうもんの下で雨やみを待っていた。
諏訪之瀬島8日目。春はあけぼの。いつも通りヨガから私たちの1日は始まる。もう日報の冒頭文のようなものである。ヨガの終わった後の朝日が照らし出すものはなんと美しいことか。この筆舌に尽くしがたい朝を堪能できるのも後少しである。
夏は夜。午前はさんさんと輝く太陽に照らされるなか乙姫の洞窟まで歩いた。鍾乳洞に行くことなど初めての私にはたいそう貴重な経験となった。
薄暗いじめじめしたこの場所は私が生まれた場所にそっくりである。日向ぼっこをするよりいい時間を過ごせれたと思うべきなのか。途中で転んだりすることもあったがこれも思い出だろう。
秋は夕暮れ。午後は砂浜で岩礁に出来た天然の水族館を堪能した。星の砂もあり一部の人はそれを探すことを好んだ。 ¥花より団子の私には無縁のものである。そして、これは午前に行った鍾乳洞の隣の砂浜で行ったのである。
行きはよいよい帰りは怖い。トラックで送ってもらい、帰りは自慢の健脚を披露することとなった。やはり、日向ぼっこの方が良かったのだろうか。
冬はつとめて。夜はゆっくりとみんなで鍋を囲んでいた。言葉では言い表せないほど美味しいのだろうか。無言の中の食事で鍋だけが賑やかな音色を奏でている。
多少の気遣いはあれどよそよそしいことはなく、温かい輪のように囲む鍋は幸せを形にしたようなものだろう。私もこの中に入りたかった。
吾輩は猫である。名前はまだない。一部では吾輩のことをアメークンと呼ぶ者もいる。
END