奄美大島で驚いたことのひとつは、60代の方が日常的にChatGPTを活用していたことだ。
小売店のポスター制作に生成AIを使っており、島の生活の中にもAIが自然に入り込んでいることを実感した。
私は日頃、AIベンチャー企業と接しているが、生成AIの普及によって社会全体の構造が大きく変わりつつあると感じている。
象徴的なのは、米国ベンチャー企業のAnthropicが提供し始めた新しいAIサービスの登場によって、SalesforceやFigma、日本企業でいえばマネーフォワードやfreeeといったSaaS企業の株価が下落したことだ。
これらの企業が提供してきた「人が操作する前提のSaaS」に対し、AIが直接タスクを代替する世界が現実味を帯びてきた。
歴史を振り返れば、紙に手書きしていた作業をExcelなどのSaaSが効率化し、業務は大きく変わった。
しかし、その段階ではまだ「人が操作すること」が前提だった。
今起きている変化は、人がSaaSに打ち込んでいた作業そのものをAIが代替し始めているという点で質が違う。
奄美で見たポスター制作もその一例だ。
これまで人の手で行っていたクリエイティブ作業が、AIによってほぼ自動化されつつある。
つまり、これまで「人が必要」とされていた仕事が、静かに姿を消し始めている。
経営者の視点に立てば、これは当然の流れでもある。
人がやるより速く、ミスも少なく、コストもかからない。
人件費が下がり、販管費が下がり、営業利益が改善する。
合理性だけを見れば、AIの導入は避けられない。
しかし、この流れは同時に、私たちに「人間の本質」を問い直すことを迫っているように思う。
縄文時代は、その日の食べ物をどう確保するかが重要だった。
弥生時代は、稲作を効率化し、定住し、余剰を生み、物々交換が始まり、やがて貨幣が生まれた。
貨幣を多く持つことが力となり、土地や資源を巡る争いが生まれ、それが現代まで続いている。
近代の私たちは、貨幣を得るために仕事をしてきた。
だが、AIが仕事を代替し始めた今、そもそも「貨幣を得るための仕事」は本当に必要なのか?
では、なぜ生きているのか?
何のために生きるのか?
奄美での体験とAIの急速な進化が重なり、そんな本質的な問いに目を向けざるを得なくなっている。
筆者:404