自分が「物語」ではなく「構造」によって生かされているのだと、静かに突きつけられるような時間だった。
奄美大島で出会った人々は、まるで自分の人生を自分の手で編み続けてきた人たちだった。
ある人は、ネットのなかった時代に、コーヒー農園をゼロから起こし、第6次産業へと伸ばしながら、「一番目にならないと意味がない」と、言い切った。
また、ある人は、奄美で育ち、省庁で働き、外交官として世界を渡り歩いたのち、その経験をふるさとに還していた。
彼らの人生は、ひとつの物語としてゆっくりと連なっていると感じた。
その姿を前にすると、都会で大企業に所属し、最適化された仕事の歯車として動いている自分が浮かび上がる。
会社に属する以上、それは当然のことなのだが、そこではどうしても「自分の物語」よりも「社会の構造の中での役割」が先に立つ。
会社以外の収入も含めれば、生きていくための心配はほとんどない。
自分は何を求めているのか。お金なのか。それとも、まだ言葉にならない“何か”なのか。その問いに、自分自身の言葉で答えられるようになったなら、これからの人生は、もっと自由で、もっと面白いものへと形を変えていくのかもしれない。
と期待も感じた1日となった。
筆者:404