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子牛の本能と配慮

今日は牛の餌やりと餌の準備と昨日産まれた子牛を森の中から探すことをしました。

子牛をメンバーと一緒に長い時間探していたのですが山地(やまち)さんが子牛を探すとすぐに見つかりました。

山地さんが広い森の中から子牛を見つけられたのは子牛がどこにいるのかを知っていたからだと知り驚きました。私も子牛を探している途中で子牛も水が必要だから水が少し貯まっている場所を見つけてみたのですが、子牛のいる場所は違うみたいです。

子牛は自分が生まれたところにいるそうです。それが牛にとっての本能だからだと知りました。

山地さんは本能についてのお話を私達にしてくださいました。

子牛は産まれると立とうとする、自分の足で立つとお母さんのおっぱいを探して飲む。

成牛は子牛といても餌を与えると我先に餌を食べる、しかし子牛に近づこうとすると子牛を守ろうとする。

人間は牛とは違って理性を持ち自然とはほど遠い生活をしています。山地さんが人間は理性を持っているから人間にとっての本能がよくわからなくなる、人間にとっての本能はなんだろうと仰っていたのが印象に残りました。

人間の赤ちゃんが産まれるとまず最初に泣きます。私は人間にとっての本能は誰かと一緒にいたいのかなと思いました。

道中こんなお話をお聞きすることができました。やらないよりもやったほうがいいという考え方は何も考えていない証拠だよと言われました。山地さんは何かをすれば何かをやったあとに必ず得るものはある、だけど何かをやる前にその準備をしていなければ得るものは少ないという風に仰っていました。

別府自然放牧のボランティアに行く前に私がしていた準備はなんだったのだろうと思いました。他の人の別府自然放牧の体験記なら読みました。ボランティアに行く前には体験記からボランティアの様子がはっきりと伝わってくる感覚があったのでわざわざお金を払って3年生の3月という時期に行くのはどうなんだろうと思っていました。

しかし、ボランティアに参加する前に配慮の身につけ方について私なりに思っていたことがありました。

ボランティアに行く前は実家に帰省していていろんな料理を自分で作るようにしていました。それは、私の普段の食事がほとんど同じで食に豊かさがないとバイトの先輩から指摘されていたからです。私が作った料理を妹に出したとき、妹の意識はユーチューブに向けられていました。いただきますやごちそうさまでしたという言葉がないことや料理の味について何も言ってくれないことに愕然としました。また、その姿は私の前の姿に重なっていました。料理を出す側になってこの言葉や会話が必要なことを痛感しました。

私が自然放牧のボランティアに参加する前に強く思うようになっていたことは経験してからしかできない配慮があるということです。

料理を作って振る舞う側になって料理の感想を伝えることは料理を作ってくれた人に対する配慮なんだと思うようになりました。

私は配慮の身につけ方について自分の意見を持っていることがこのボランティアに向けての準備に当たるのだと思っています。

配慮というのは相手がいることが前提にあると思います。

このボランティアでは多くの人と関わる機会があるため、多くの人と関わる経験を通して配慮について考えていけると思います。(そういえば小林秀雄さんの本の中で考えることと人と交わること、関わることについて述べられていたと思います)

ボランティアに参加して、いただきますやごちそうさまでしたの意味が私の中で明確になったと思います。

いただきますを言わなくなるとお肉をみんなに届けるために家畜を殺す人に対する敬意がなくなってしまうのだと思います。

ごちそうさまでしたを言わなくなると料理を作ってくれた人に対する感謝の意がなくなってしまうのだと思います。

いただきますの意味についてはボランティアの最終日に考えることができたと思います。

(これを書いているのはボランティアのすべての日程が終わったあとなので時系列がやや前後しますがご了承頂きたいと思います。)

ボランティアの最終日には山地(やまち)さんに生きている鶏を屠殺してそのお肉を頂くイベントに連れて行っていただきました。

鶏は軽トラの荷台に紙袋に包まれた状態でした。紙袋を破ると鶏が暴れ始めました。そこで鶏は自分が今から殺されることを自覚しているということをお聞きしました。殺されることを自覚している動物を殺すことは並大抵の覚悟ではできないことだと思いました。鶏の頸動脈が切られ鉄のバケツに血を溜められていました。まだ鶏はまばたきをしていてその顔を屠殺していただいた山地(やまじ)さんが優しく撫でていたことが印象的でした。

普段買うお肉も誰かが殺さないと手に取ることはできないことをこのイベントに参加して強く思いました。小学生のときに習ったいただきますの意味を思い出す機会を得られたことに感謝しています。

最後にはなりますが世話人の山地さん、シェアハウスの方々、稚拙な文章にお付き合いしていただいた皆様に感謝を申し上げます。本当にありがとうございました!

芹川颯汰