先日、台湾大学でInternational Geographical Union(国際地理連盟)の国際学会が開催されました。
この度の開催では、台湾の離島「馬祖(Matsu/Măzŭ)」にてフィールドトリップが行われるとの情報を、日本島嶼学会の会長である長嶋俊介教授よりいただいたのがきっかけで、私も馬祖へと行ってまいりました。
より大きな地図で 馬祖 を表示
台湾には離島はあまりないのですが、そのうちの2つは中国大陸の間近にあります。
台湾は国際的には正式な国家として認められていませんが、事実上はもっとも民主的な実効支配が行われている稀有な地域です。多くの国と民間レベルでの国際交流があり、ほぼ国家であると考えているのが世間一般の認識だと思います。
しかし、過去には中国との領土争いが熾烈に繰り広げられていました。台湾よりも中国に近い「馬祖」や「金門島(Jīnmén)」が今でも台湾の領土であるということは、台湾がこの島々を必死で守ったからです。
国境を守る神の島。
台湾の離島「馬祖(Matsu)」を一言で表すとしたら、この言葉が相応しいのではないかと思います。
馬祖は、中国からわずか20kmほどの場所にある小さな島々で、台湾でもっともポピュラーな「媽祖」神が流れ着いたという伝説が名前の由来です。
代表的な5つの島のうち、私たちは馬祖の中心を担う「南竿(Nangan)」に降り立ちました。ここには巨大な媽祖像が威風堂々と屹立しており、台湾の人々を優しく見守っています。
中国から約20km離れているといっても、ピンとこない方もいらっしゃるかもしれませんが、逆に馬祖から台湾本土までの距離が200kmも離れていると説明すれば、地理的には「台湾」というよりは「中国」の一部という印象を受けるのではないでしょうか?
【馬祖からわずか20km先の中国大陸を臨む】
事実、私も今回馬祖に行くにあたって地図を見て、大変驚きました。そして、馬祖から肉眼で中国大陸を目撃した時に、「ああ、ここはまさしく国境の島なのだ」と強い感慨を覚えたものです。
全民皆兵の時代から、観光地へ。
馬祖はこのような地理環境にあるため、とてもユニークな歴史を持っています。
すなわち、1949年から台湾政府は馬祖を重要な戦地と位置付け、18歳から45歳までの住民は男女関係なくすべて「民防隊」という組織に加入するという全民皆兵の時代を45年間にわたり続けてきたのです。
その時代が終焉を迎えるのは、わずか20年前の1994年5月13日。それまでの間、台湾の人々にとって馬祖は謎のベールに包まれていました。
45年という沈黙を破り世間にその門戸を開いた馬祖は、いまや伝統的な石造りの美しい町並みや過去の軍事設備を見学できる観光地となっています。
特に芹壁(Cimbi)という地域が特筆に当たります。数年前には10軒以下の家庭しかなかったにも関わらず、いまや100室以上のゲストルームが作られ、秘密基地的な余暇を楽しむ人が訪れる観光地となっている場所です。
離島に付き物の強い風に耐えるために作られた、頑丈な石造りの家は実に美しく、眼下に広がる海を眺めていると、ここが国防の要であることは思わず忘れてしまいます。
台北の九份(Jiufen)という観光地を訪れたことがあるでしょうか? かつて炭鉱で栄えたこの町の家々は、山の斜面にへばりつくように建っています。そのため、どこからでも美しい海を遠くに眺めることができる風光明媚な景勝地となっています。よく、ジブリアニメの「千と千尋の神隠し」のモデルになったと噂されるあの場所です。
そんな九份に雰囲気が似ているので、馬祖は海にある九份だと伝えるとイメージが湧くかもしれません。九份を知っている方なら、芹壁がいかに美しい場所なのか想像できるのではないでしょうか。
馬祖に潜む迷彩柄の影
一方で、島の至るところに要塞や迷彩柄の建物が見え、その内のいくつかは今でも現役で使われています。そんな光景を見ると、やはりここが国境の島であるということを嫌でも感じさせられてしまうのでした。
そうした感慨にふけらせる象徴的な場所に、「北海坑道」という坑道があります。この坑道は南竿と北竿の両方に作られた巨大な水路で、軍事用の船舶を隠すために使用されました。南竿の坑道の高さは18メートル、幅は10メートル、長さは640メートルもあり、北竿にもほぼ同じ規模の坑道があります。
この坑道はカヌーやボートで実際に水に浮かんで見学することができます。この坑道がほとんど手作業で作られたと言えば、誰もが信じられないと言うでしょう。
【南竿にある北海坑道の内部】
ご存知かもしれませんが、台湾には徴兵制があります。徴兵時には自分の希望とは関係なく場所や部隊が決められるのですが、台湾の男性が「もっとも運が悪い場所」と考えているのが、この馬祖なのだそうです。
かつてほどの緊張はないものの、馬祖では軍服を着た青年をチラホラと見かけます。その多くは徴兵中の青年たちのようでした。
もちろん私は徴兵の経験がありませんが、やはり「大変で辛いもの」というイメージがあります。
きっと、「もっとも運が悪い場所」にやってきた彼らは非常に辛い思いで毎日を過ごしているのだろう。そう勝手に思っていました。
夕方のことです。海岸に軍服を着た何人かの青年がいました。彼らは終始にこやかな様子でした。次の日の朝には、宿舎と思われる場所から次々にどこかへと向かう青年たちの姿を目撃しました。
そんな彼らの姿を見て、同行していたフィリピン人の友人が一言「彼らはまるで学校に行っているかのように楽しそうな顔をしている」。私もまさに同じ印象を受けたことを覚えています。
馬祖で行われている訓練がどのようなものかは知る由もありません。楽しそうな顔の裏に何が潜んでいるのかも分かりません。もちろん、警備にあたっている軍人の目は緊張に溢れています。今でこそ使われてはいませんが、外敵から馬祖を防衛するための大砲は今でも置かれたままです。かつては現役だった戦車が何台も野外に展示されている場所もあります。美しい石畳の道路には、戦車が走れるようキャタピラが接する部分だけコンクリートで固められてあります。
ですが、ただ一つ言えるのは馬祖が「全民皆兵」の時代からは生まれ変わっているということでしょう。
観光産業が盛り上がりをみせる台湾
冒頭で説明したとおり、馬祖には5つの代表的な島があります。当初は南竿から莒光(Juguan)までフェリーで移動する予定だったのですが、台風の接近のためそれは叶いませんでした。莒光や更にもっと離れている東引(Dongyin)にも、美しい町並みや砂浜があるそうです。
台湾は人口が2,000万人ほどの小さな国です。しかし、外国人観光客数は年々増加しており、特に2014年は上半期のみで500万人もの外国人観光客が訪れています。これは昨年度比25%増しという驚くべき数値で、外国人観光客数の伸び率はなんと世界一です。私たち日本人も例に違わず、昨年度比20%増しとなっています。
こうした流れのなか、しばらくは台湾は観光業におけるGDPが伸び続けるでしょう。台湾本土からわずか1時間足らずで到着する馬祖をはじめとした離島も、今後注目を浴びることは予測に難しくありません。
東日本大震災以降、日本でも「負の遺産」を観光題材とする「ダークツーリズム」という言葉をよく聞くようになりました。馬祖はまさにダークツーリズムの島でもあります。
私は、馬祖のいたる場所で見た迷彩模様と、友人たちと美しい砂浜を当てもなくぶらついたことが忘れられません。暗い過去があるからこそ、美しい砂浜や芹壁をはじめとする石造りの街並みがより輝くのでしょうか。
全民皆兵の時代が終わり、今、馬祖には観光地としての新しい未来が始まっています。台風で莒光に行けなかったのは良いことだったかもしれません。
次は必ず莒光に行こう。
そんなきっかけができるからです。こうやって次に行く島を心にしまっておくのも、天候に左右されやすい離島の醍醐味かもしれません。