今月は、青年海外協力隊準備中の市川昭さんにお話をききました。
こんにちは、皆さんお元気ですか?
ゴールデンウィークも終わり、新しい生活になった方は
そろそろ慣れてきたころではないでしょうか?
さて、このコーナーでは毎月1名ずつ、田舎で暮らしている人にフォーカスをあて、
実際の田舎暮らしの「ホントの話」をうかがっていきます。
毎回、色んな人に登場していただいていますが、それぞれにストーリーがあり、
編集している自分も楽しみなコーナーになってきています。
5月の田舎モン! では現在、海外青年協力隊として
研修中の市川昭さん(ニックネーム:えびぞうさん)にお話をうかがいました。
一時期、トカラ列島中之島で受け入れ農家をされていたこともあります。
今月の聞き手は、晴れて四万十川で就職することになったECOFFスタッフ秋山さんです。
[symple_heading type=”h2″ title=”学生運動から農的幸福論へ。” margin_top=”20px;” margin_bottom=”20px” text_align=”left”]
秋山
じゃあ今までの人生を聞いていきたいと思います。子供のころはどんな少年でしたか?
市川さん(以下、えびぞう)
子供のころはジブリが大好きで、
天空の城のラピュタのセリフを全部言えました!(えっへん)
シーター!パズー!(笑)
秋山
えー(笑)
えびぞう
あまりに好きで、家にビデオデッキがなかったもんだから、
テープレコーダーをテレビの上に置いて、録音して、毎日聞いていたよ。
秋山
(笑)
その映画で一番好きなセリフは?
えびぞう
うーん、おまじないの言葉。りーてありあろすばりねとりーな・・(笑)
(しばらくセリフについての話で盛り上がる)
秋山
で、ジブリ好きか何好きに変わっていったんですか?
えびぞう
それで、アニメーターになろうと思って、高3まで毎日絵を書いていたよ。
秋山
えびぞうさん絵うまいですもんね! 高校のころは何を考えていました?
えびぞう
高校のころは死にたかった。人を傷つけることもよく考えていたな。
秋山
え!!・・なぜ?
えびぞう
んーなんでだろう。わからないけど。
子供の頃、うちの教育方針が、戦争はいけないものだよ、というのをわからせるために、
戦争の映画をたくさん見せられていたんだけど、
おれはちょっと違う方向に行ってしまったんだろうね(笑)
秋山
ほお〜・・大学には?
えびぞう
代々木アニメーションスクールに行きたかったのだけど、
親にそんなところに行かせる金はない、国立以外はだめだといわれてね。
しょうがないからCGが勉強できる工学部で、実家から一番遠くて、
一番自分が入りやすい富山大学に入学したんだよ(笑)
秋山
大学ではなにしていました?
えびぞう
大学では5年間、学生運動をしてた。
右の写真はイメージ。
By http://underclassrising.net/
秋山
学生運動って、私をはじめ、
馴染みがない人が多いと思うんですけど、
学生運動について教えてください。
えびぞう
ぼくがいたのは過激派・・なんだけど。まあ、いろんな派閥があってね、
(世の中的にはNGらしいワードを連発)
秋山
ほお〜複雑な世界だ・・。
私のイメージとしては、学生が、何かに不満があって、
団結して、何かに過激に主張する・・というような感じなんですけど。
えびぞう
もともとはそういう感じだね。
おおもとは、日大の学費を値上げするという闘争から始まった、
やっぱり学生の不満から始まっていったものなんだよね。
俺らがやっていたのも、当時住んでいた学生寮を
値上げするということから始まったんだよね。
当時寮は、月4000円で住んでいたんだけど、
大学側が整備して、月3万円の寮にしようとしていた。
そんなことされちゃうと、大学にいけない人が多かった。
それはおかしいだろう! という思いから始まった。
秋山
うんうん、私も大学の自転車置き場が整備されて、
通学時間が10分も延びた時には、憤りを覚えましたよ!(笑)
えびぞう
学生寮闘争と、当時60年代からのアフガニスタン戦争やイラク戦争があったから、
北海道に行って基地の前でデモをして
機動隊に追いかけられて、なんてこともやっていたね。
秋山
ほおお〜〜(笑)
それを5年間?
えびぞう
うん、5年目で学生運動に限界を感じたんだよね。
もうやっても変わらないとうんざりして。
秋山
やっぱそういう時が来るもんなんですね(笑)
えびぞう
その時には、工学部には興味がなくなっていて、
ずっと学生運動で政治に関係していたからジャーナリストにでもなろうかと思って、文学部に転学したよ。
でも、ある程度勉強した後、気付いたんだ。
ジャーナリストは傍観者だ。
俺は傍観者でいるよりも当事者でいたいと思った。
キューバ革命が大好きだったからね、キューバに行きたかった。
単純にそんなところで生活がしたかった。
そのためには国際協力的なものが必要だと思っていた。
写真はイメージ。
By Andy Squires
秋山
うんうん。
えびぞう
そんな時、藤本俊夫(加藤登紀子の夫)の「農的幸福論」を読んだんだよね。
そこでビビっと来たんだよ!
[symple_testimonial by=”宮坂大智”]次週は、いよいよ市川さんが農業に目覚めるまでのエピソードが明かされます。
学生運動に傾倒していた彼は、どのようにして農業に行き着いたのでしょうか?[/symple_testimonial]
(取材:秋山梢 / 編集:宮坂大智)