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私たち人類に必要なのは塩であった。

黒潮町に来て早7日が過ぎた本日、天気は快晴で気温も程よく、黒潮という土地が私達を歓迎しているとすら思える気持ちのいい日でした。

そんな好日に向かったのは黒潮町の海辺に所在する土佐の塩丸製塩所、2代にわたり紡いできた立派な塩工房は歴史を感じさせない美美しい出で立ちで私たちエコフボランティアを向かい入れてくれました。現当主である2代目塩守吉田拓丸さんが1つ1つ丁寧に塩に対する思いを説明して下さる中で、人間にとって必要不可欠なものを教えてくれ ました。「1番は空気、2番は水、そして3番が塩や」と。驚愕すると同時に、一体どのような意味が込められているのだろうかと興味が湧き、話に耳を済ませていると体に塩分(ナトリウム)が不足すると身体機能が停止し死に至るというものでした。昨今、塩分過多の注意喚起ばかり行われている現代社会において、ここまで重要な役割を果たす塩分の必要性を知らない己の無知を呪うと共に、拓丸さんの話に引き込まれていきました。

曰く、生命の源である太古の海の塩分は現代に比べ遥かに寡少で、その濃度に合わせ生物は誕生してきたと。人類の原種にも例外はなく、身体に必要な塩分は海を通し太古から変わらず受け継がれています。これは身体機能的な意義ではなく、人間の本質的な部分で塩を欲さなければいけないとすら感じ取れました。

即ち、塩🟰人類として考えても良いのではないかと私は悟りを開いたのです。塩を欲することこそ我々の母である海からの使命であり、塩を頂くその瞬間こそ我々が生を受けたの意義なのではないのでしょうか。

現代社会の荒波に揉まれ、心が荒むことも多いかと思います。その時こそ心の中でこう唱えるのです。塩想ふ、故に我あり と。